ある町医者の診療日記

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zoom RSS 内診問題の真相3>カルトの世界

<<   作成日時 : 2007/07/08 12:07   >>

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内診問題の真相より
-----(ここから引用)-----
 さらに複雑なのは、助産師は独特の分娩観をもっているということです。奇妙な呼吸法や世界に類を見ない乳房マッサージ、生まれてすぐに母子が裸で抱き合うカンガルーケアなど、単なる正常分娩に、様々なこだわりをもっています。非科学的で馬鹿げたことが多いのですが、近代医学に対するアンチテーゼであるため、マスコミにも好意的に受け止められることが多く、産科医としては、あまりに非科学的な話と思っても、否定的なことが言いづらいのです。
-----(引用、終わり)-----

毎日新聞は、そのマスコミの中でも特に目立って「好意的」なようです。
次のような記事を配信しています。
これはどう見ても「独特の分娩感」を持っている人のコマーシャルです。その本来は広告とされるべきものを、さも一般記事のようにして書いている(これって、許されることなのだろうか?)。毎日新聞はそれほどに「好意的」ということの一例でもあり、ここにも助産マフィアの一例を見ます。

例によって全面引用しておきます。
毎日のはすぐリンク切れになりますので。

http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&articleId=50372
-----(ここから引用)-----
自然分娩で親子の絆 甲府で7日に講演会
07/07/05
記事:毎日新聞社
提供:毎日新聞社

講演会:自然分娩で親子の絆 甲府で7日に /山梨

 医療行為を極力行わない自然分娩(ぶんべん)で知られる愛知県岡崎市の吉村医院で助産師長だった岡野真規代さん(55)が7日午後2時から、甲府市の県立文学館で講演する。「いのちとの出会い」と題して話す岡野さんは「家族に見守られながら自然に任せて出産することで得られる親子の絆(きずな)を体験してほしい」と話している。

 岡野さんは99年から5年間、古民家を利用して自然分娩を行う同医院の「お産の家」で助産師として勤務。これまでに約3000人の赤ちゃんを自然分娩で取り上げた。現在は、札幌市にある天使大大学院の助産指導員として働く一方、自然分娩できる「お産の家」の設立を目指している。

 岡野さんによると、生まれてくる赤ちゃんの健康は母親の健康と密接に関係しているため、日常から体を動かすことを求める自然分娩は、母子の健康を保つのに有効という。長くて苦しい出産も個性ととらえ、「早い方が良い」という認識で医療行為を行う現代の出産に異論を唱える岡野さんは「病院に産ませてもらうのではなく、『自分で産む』という意識で出産に臨んでほしい」と呼び掛ける。

 前売り1500円、当日1800円。問い合わせは主催の「やまなし自然育児ネットワーク」(電話0556・22・2650)。【沢田勇】
-----(引用、終わり)-----
(ご丁寧にチケット代はいくらですよとまで宣伝しているのですから、これを広告と言わずになんと言うべきでしょう?)

この「岡野真規代さん(55)」が助産師長だったという「医療行為を極力行わない自然分娩(ぶんべん)で知られる愛知県岡崎市の吉村医院」というのは有名なところらしい、その筋では。

m3の掲示板でこの記事について議論されているのですが、それが批判的であるのは当然としても、私が驚いたのはこの「吉村医院」がハイリスク分娩も引き受けているという投稿です。
そこで悲劇的な一例が紹介されていました。
この悲劇は、最初から分かっていたことであり、普通の産科医であれば当然予想でき、そして容易に避け得ることです。

医療行為を極力行わない自然分娩(ぶんべん)の危険性は、50年ほど前までの日本の母体死亡率、新生児死亡率を見れば分かることです。妊娠出産が安全であるというような誤解が生まれているのは、「医療行為」の結果であり、産科医の血のにじむような努力の結果なのに、その「医療行為を極力行わない自然分娩」させるところにハイリスクな妊婦が行くとは、さらに産科医であるにも関わらずそのようなハイリスク妊婦を引き受けるとは、いったいどういうことなのか。
医師であれば、「適応」ということをきちんと判断しないといけない、できないといけない。
もちろん100%できるわけではありません。特に妊娠出産というのは、いつ何がおきるのか分からないものであり、その典型があの大野病院事例の癒着胎盤の大量出血であり、大淀病院事例の子癇や脳内出血です。
しかし、この吉村医院事例は違う。

幸せなお産
http://www.komeday.com/osan11.html
web魚拓
http://megalodon.jp/?url=http://www.komeday.com/osan11.html&date=20070708092917

これはこの吉村医院でお産をした経験を、自ら自分のサイトに書いているものです。
自然分娩賛美が多いのですが、中から事実だけを抜き出してみます。

幸せなお産(1)
>逆子が戻らず
骨盤位

幸せなお産(5)
>吉村医院へ来る前、かかっていた産科の病院では出産が11月9日と決まっていた。もうすぐ、それから1ヵ月にもなろうとしているのに
予定日より1ヶ月以上たっている

幸せなお産(9)
>「お産というものがこんなに苦しいものならば、いっその事、帝王切開を・・・」と思うくらい、ゆきがしんどそうでつらい・・・母子共に順調、初産の逆子にしては、陣痛の進み方が早いらしいが、それでもとなりで見ている身にはかなりつらい。

初産(!)の骨盤位。

幸せなお産(10)
>赤ちゃんの逆子が判明、逆子は法律上、助産院では産めない。提携先の病院も自然分娩に近いものはしているが、逆子で体格の細いゆきには自然分娩は無理だった。僕たちの思い通りの出産ができるところはなかった。お灸、ホメオパシー、逆子体操と思いつく事をいろいろためしたが、結局逆子は直らなかった。

幸せなお産(11)
>ゆきは、大阪の病院で「あなたの骨盤ではこの大きな頭の赤ちゃんの自然分娩は無理だ。」と言われていた。

自宅近くの産科医によって、それもできるだけ「自然分娩」を試みている病院でさえも、「自然分娩は無理」という診断を受けていた!!
最初から体格的に無理と。
産道にあたる骨盤の大きさが胎児の頭部に比べて小さすぎた(児頭骨盤不均衡)ということでしょう。それも初期からそう診断されていたのですから、よほど決定的な児頭骨盤不均衡だったということでしょう。となれば、逆子(骨盤位)であろうがなかろうが、これはもう絶対的な帝王切開の適応じゃないか。

それなのに、この「吉村医院」は、、、

幸せなお産(11)
>「産道もめちゃめちゃやわらかい・・・バリバリの安産です。」 死にそうなほど、不安でいっぱいだったゆきの心に吉村先生の言葉がひびいた・・・目から大粒の涙があふれた。出産まじかであったにもかかわらず、吉村先生は、快く僕たちを受け入れてくれた。

骨盤位の、そして児頭骨盤不均衡である妊婦に「バリバリの安産」と診断した、それも「出産まじか」の時期にもなって
これはもうヤブだとかいうレベルではない、殺人に等しい。

幸せなお産(11)
>陣痛が来てからもう3日目、苦しんで苦しんでやっと思いでもう後はゆきがいきんで赤ちゃんを外へ押し出すだけのところまで来た。ところが、最後の陣痛が来ない・・・ゆきの体力はもう限界だったのかもしれない。吉村先生の苦渋の選択で、転院を決めた。近代医療で、ゆきまつは無事うまれた。

自然分娩など不可能なのに(通るものが通るべき穴より太いのに通り抜けられるはずがない、これは簡単な物理法則、、、いや、常識の問題と言うべきでしょう)、それを強行し、産婦を苦しめぬいた上に、遅すぎると言わざる得ない転送が決断された。
そして転送先で当然として帝王切開を受け、やっと「ゆきまつは無事うまれた」。

あとがき(1)
>もし、大阪の産院で最初から、仕方なく帝王切開していたならば、お産というものに、生命の誕生というものに僕たちはこれほどに命をかけて向き合うことは出来なかっただろう。

自分の妻を死の淵に追いやっておいてよくもこういうことを言えたものです。
自分の子を死なせておきながらよくもこういうことが言えたものです。

こんな経験をしているにもかかわらず、これはいったいどういうことか。
>もし、大阪の産院で最初から、仕方なく帝王切開していたならば、お産というものに、生命の誕生というものに僕たちはこれほどに命をかけて向き合うことは出来なかっただろう。
>吉村医院という生命の宇宙に迷い込んでしまったばかりに、僕たちはそこで生命誕生の神秘、かけがえのない愛と真実をみたのだ。

これはもうカルトの世界です。
同じように思われているかたは他にもいて、m3のスレッドで「土曜日の恋人」というかたがこう言われています。
-----(ここから引用)-----
陣痛促進剤や帝切で生まれるのなら新生児死亡に終わったほうが満足だ、とでも言いたいのでしょうか?
陣痛促進剤と帝切を「輸血」と置き換えたら、某宗教団体に近いですね。しかし胎児には人権はないのか?
-----(引用、終わり)-----

まさに言われる通りと思います。
そしてこういうカルトの集団を毎日新聞は後押ししているのです。

ただし、この夫がカルトの呪縛から離れることは苦しみを受け入れねばならないということでもあります。つらい現実が待っています。自分が妻を死の淵に追いやったこと、子を死なせてしまったのだという「事実」です。そういう苦しい「事実」に直面しなければなりません。果たして、カルトの世界に入ってしまうような人間に、それが耐え得るでしょうか。耐え得るような強い心を期待できるでしょうか。

今のまま「カルトの世界」にとどまっていた方が、この夫には幸せなことかもしれません。

参考
児頭骨盤不均衡
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hhhp/dystocia/cpd.htm
>骨盤の広さと赤ちゃんの頭の大きさの差がどれくらいあるかによって分娩様式が決定される。この差が大きければ「児頭骨盤不均衡」は否定され経膣分娩は可能になる。この差が極端に少なかったり、逆に児頭のほうが骨盤より大きい場合には「児頭骨盤不均衡」と診断され、経膣分娩は不可能になるために帝王切開が行われなければならない。この境界例に対しては「試験分娩」と呼ばれ、試験的に経膣分娩を試みるが、分娩遷延するなどの何等かの異常が発生すればその時点で「児頭骨盤不均衡」と診断され帝王切開が選択される。

骨盤位
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/2111/s_index_breech_presentation.html
http://health.goo.ne.jp/medical/search/10380900.html

帝王切開はうしろめたい?残念なこと?
http://happy-ikuji.lolipop.jp/ninsintaiken-10.html

延長された表現型ということ(私見)
私たちヒトという生物種は、家族を作り社会を作り助け合って生存しています。それが「ヒト」という生物種の「自然」です。
その社会の中で、医学(科学の一つ)の応用として医療という営みがなされているが、それはその「ヒト」の表現型です。「延長された表現型」なのです。
私たちの手は表現型ですが、それと同じく私たちが使っている道具や作り上げた建物なども表現型(延長された表現型)であり、さらに言えば医学という「科学」もそれら形あるものと同じく表現型です。道具を使ってものを作ることは、我々ヒトにとれば手を使ってものを作ることと同じであり、我々ヒトの「自然」なのです。そして科学もそれら道具の一つであり、その科学を使って理解し、ものを作ることもまた「自然」です。
それはヒトという種における自然の営みです。
手を使ったらいい時には手を使う、指を使ったらいい時には指を使う。これは自然です。
しかし、手を使ったらいい時にあえて使わない、指を使ったいい時にあえて使わないとしたら、それは「不自然」と言わざるをえません。
「帝王切開」は医学という道具(延長された表現型)の中の一つであって、それは手があるとか5本の指があるとかいうこと、つまり表現型の一つであり、それは「自然」なことです。そして、そういう道具を使うべき時に意図して使わないとしたら、手を使わないで生活するということと同じく極めて不自然なことです。

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