ある町医者の診療日記

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zoom RSS 産科医逮捕関連>万全の準備

<<   作成日時 : 2006/05/05 09:55   >>

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県の医師会報に投稿したものです。

万全の準備をとっておくべきだったのだと言う者達の無知と偽善
 今回の産科医逮捕関連の新聞記事やテレビニュースで一般の人達が、さも逮捕は当然というような感じで、「人の命を預かる仕事だから万全の準備をするのは当然だ」という意味の発言をしているのを目にします。さらに同じ意味のことをテレビのワイドショーで、いわゆるコメンテーターが発言しているのを見たことがあります。

 私はそれを見て、言葉が悪いですが、怒りを覚えました。なんという無知、無責任な発言かと。
 医師は神ではない。後から振り返れば、あの時はこうすれば良かったということが必ずあります。臨床医なら誰でも常に経験する。特に、不幸な転帰をとった症例ならば、もしかしたら助け得たかもしれないという場面が何カ所もあげられるでしょう。まさに、後医は名医の言葉通りに。今回の癒着胎盤死亡事件でいえば、子宮温存しようとするのではなく胎児娩出後胎盤が剥がれない時点で即座に子宮全摘すべきであった(警察や検察側の主張)とか、一人医長体制の病院で帝王切開するのではなく、より大きな病院に紹介すべきであった(遺族の主張)ということなどがあげられます。
 確かに、最初から子宮全摘に移行していたら、あるいは助けられたかもしれない。また、大出血を来していても、よりマンパワーの揃った病院であれば、またすぐ血液の届くような好条件の場所にある病院ならば、この母親は助かっていたかもしれない。
 しかし、それらは全て結果論です。
 女性が子宮を取られるということの痛みを、逮捕した警察や検察は少しも考慮していないに違いない。子宮を摘出して訴えられている産科医があまたいるのはその裏返しです。この例でも死亡した母親は子宮温存を希望していたと聞いています。それを胎盤が剥がれないという段階で即座に子宮全摘する鬼手の持ち主がどれほどいるでしょうか。メーリングリストの産科専門医の発言を読んでも、胎盤がとれないと子宮は収縮せず切開創からの出血が続くので、なんとか胎盤を取り出そうと努力してみるというのが多くあり、逮捕された産科医の処置を批判する人はいませんでした。最初からより大きな病院にというのも非現実的です。この例では前置胎盤ということは分かっていて、そのために帝王切開になったのですが、癒着胎盤ということまでは出血が始まるまで分からなかったのです(後壁に癒着していたらしい)。前置胎盤の帝王切開というだけで、「より大きな病院」に転院とかしていたら、その「より大きな病院」の方がパンクしてしまうことになります。大量出血を起こす癒着胎盤なら「より大きな病院」でないと助けられないでしょうが(それでも100%ではない)、それは胎盤が取れず大量出血が始まった後に分かることです。

「万全の準備」とはどういう準備をいうのでしょうか?
産科医が10人以上もいて、麻酔科医も複数つけられるような大きな周産期センターであれば助けられていたかもしれません。帝王切開する場合は全てこのような大きな病院で行うことが「万全の準備」ということでしょうか。しかし、現実問題としてそれだけの産科医はこの日本にはいない。またそれだけの産科医を雇い病院を設立運営するだけの医療費を出していたら、妊娠出産に伴う費用は莫大なものになるでしょう。それは全くの絵空事です。また、輸血用の血液を5単位用意というのではなく、最初から10単位とか、あるいは今回の症例では最終的に20000mlの出血があったということですから、例えば総出血量の半分の50単位でも用意しておかないと「万全」とは言えないのでしょうか。もし前置胎盤の帝王切開全てに50単位用意していたら、日本の献血制度はすぐさま崩壊するでしょう。
 さらに、癒着胎盤による大量出血というのは、こういう体制を敷いていても100%救命可能とは言えないのだそうです。大きな周産期センターや大学病院などで癒着胎盤例を経験したことのある産科専門医の発言をメーリングリストなどで読んでいると、あの時は助け得たが、はたして今度同じ症例があったら助け得るかどうか自信がないという声ばかりです。マンパワーが充分あり、血液もすぐさま届けられたから結果的には助けられたが、同じことがあったら次はどうか分からないと。周産期センターや大学病院でさえ助けられるか分からないとなれば、癒着胎盤を起こす可能性自体を避けないと「万全」とは言えないことになります。帝王切開の既往があれば、前置胎盤、癒着胎盤になる確率が高くなる。ということは、帝王切開をしたことのある女性は、以後、妊娠しないことが「万全」ということになってしまいます。いや、初めての妊娠でも癒着胎盤の確率は0とは限らないのですから、女性は妊娠しないことをもって「万全」と言うべきかもしれません。現在の日本の妊産婦死亡率や周産期死亡率は世界でもトップクラスの低さになっている。それは産科医の努力によるところが大きいと思います。しかし、どんな体制をしこうとも、妊娠出産に伴う死亡を0にすることは不可能です。これは否定しようのない現実です。どんな体制をとっていても、妊娠、出産で母体死亡や胎児死亡を0にできないとなれば、妊娠しないことが「万全の準備」ということになってしまいます。これを非現実的と言わずしてなんと言うべきか。

 「万全の準備をしておくべきだ」と主張する人達に問いたい。何をもって「万全の準備」というのかと。そして、その「万全の準備」なるものを、この日本でとることが可能なのかと。それが不可能なことなら、あるいは非現実的なことなら、「万全の準備」をなどと言うべきではありません。それは傲慢というものです。「万全の準備」とはどういうことか知らないのであれば、それは無知です。無知で発言するのは無責任です。またあえて言わせていただければ、自分を善意の立場に置こうとする偽善でさえあります。

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